少女と黒猫の店“琥珀堂”を訪れた者の迎える様々な結末。
賢者クスリ。身を削り、魂を捧げ、愛妹ヒナのために全治の秘薬“生命の水”を求める錬金術師。命の灯火は消えかけ、その蝋燭は細く短くなっている。
霧中を歩むが如き状況のクスリ。琥珀堂を訪れる。盲目の幼い娘コハクと、人語を話す猫クロ。己の全てを代価にすると誓うクスリに、“生命の水”を与える。
しかし、妹ヒナの命の灯火は尽きていた。彼女の枕元には、人語を話す黒猫と“生命の水”があった。兄の尽きかけた命の灯火に注ぐ香油。ヒナが己の全てを代価にして手に入れたもの。
ショウウィンドウに置かれた琥珀の置物。中には寄り添う兄妹の魂を閉じ込めたもの。「結局、得をしたのはキミだけじゃないのかい?」「いいえ。私は彼らのまことの望みを叶えたのよ」
金貸しタカラ。豚の容姿に狐の精神。醜く卑劣な悪徳商人。取り立てられるのは花売りのハナ。父の借りを負う高潔な少女。「お前が俺の女になるなら、この証文破ってやろう」
タカラの口から出るのは、悪辣な脅し文句。タカラの胸に宿るのは、初心な恋心。人から好かれたことの無い男は、人を愛する術を知らぬ。人の意思すらも金貨で買ってきた男。琥珀堂で“惚れ薬”に手を出したのは必然の成り行きか。
かくのごとく、醜悪な豚男と純白の野花は添い遂げたり。けれど、意思を持たぬ娘には高潔さの欠片も無い。強いるままに臥所を共にし、求めるままに秘花を晒し、望むままに睦言を吐く。夜の花ほど美しく無い。野の花ほどに気高くも無い。
タカラは証文片手に琥珀堂に殴り込む。悪徳の王の数少ない美徳は、決して嘘を吐かぬこと。証文通り、彼女を元に戻せと吼える。「元に?」香りばかりが毒じゃない。匂わぬ毒こそ恐ろしい。高潔の仮面こそが、彼女の匂わぬ毒の花香。豚一匹、手玉に取るのはお手の物。彼女は花売り。彼女は花売り。
竜姫シッポ。竜にも勝る美尾を誇る、蜥蜴人の大戦姫。野を駆け、地を跳ね、獣を狩る。若王子トノ。心優しき白馬の王子。凛々しく、雄々しく、美しい。森の野山で二人は出会う。狐を追って二人は出会う。シッポの胸が炎に焦がれた。竜の息吹が胸焼くような、業火のような一目惚れ。王子に恋した竜姫の話。
竜姫シッポ、蜥蜴一の美姫と謳われた。蛇の紅眼に、竜の翠鱗。かつては己の誇りであった。今はそれが重荷になった。白肌、金髪、碧の瞳。それが貴方の望むもの。すべての誇りと引き換えに、すべての望みを叶えたい。琥珀の瞳の黒猫が、「にゃあ」と悪魔の声で鳴く。王子に恋した竜娘の話。
金色の髪をなびかせて、野を駆け下りて、人の街。白い柔肌上気させ、一目散に駆けてゆく。目指すは彼の住まう城。高階露台に立つ王子、その傍らに美姫がいる。華やかなりし婚約の儀。疵付く足はもう歩けない。息が途切れてもう歩けない。愛していたと、愛していたと、吼える声さえ小鳥のように、か細く途切れて、もう聞こえない。王子に恋した乙女の話。
小高い山の森の奥。石繰り建てた、シッポの墓石。右手に宝剣、左に花束、墓訪れる影がある。白肌、金髪、碧の瞳。人の世界の若領主。かつて狐を追ったとき、出会った竜の姫君に、忘れられない恋の灯火。竜の吐息が胸焼くように、今でもそれを忘れえぬ。捧げた花は、翠の花弁。光に輝く、彼女の鱗。今でもそれを忘れえぬ。竜姫に恋した王子の話。
貧民イノリ。何をしても救われない。耐え難い苦難に耐えながら生きていく男。
琥珀堂。イノリは聖書を手に取る。
どんな苦難にも、聖句を唱えるだけで耐えられる。
どんな時にも聖句と聖書無しには生きていけなくなった男。かつてはどんな苦難にも耐ええるほどに強かったのに。
詐欺師ホラ。嘘の苦手な三流詐欺師。仕事の最中に本音がポロリ。仕様も無い詐欺で小銭を稼ぐケチな男。目論むことは大仕掛け。けれど、ホラには才覚が無い。無法者に媚を売り、役人に悪態をつき、燻りながら生きている。
詐欺師の仲間が殺された。殺した相手は悪金貸し、詐欺師の流儀で復讐戦。一世一代、大博打。蜂の一刺し、決まれば必殺。けれど、嘘の苦手な三流詐欺師に、毒針は無い。そんな彼が訪れたのは琥珀堂。一口飲めば嘘がスラスラ、魔法の薬に手を出した。
口先八丁、仲間を誘い、ついに集った詐欺師が七人。見事相手を丸め込み、三流詐欺師の意地の一刺し、仲間の墓前に花飾る。「それは、本当に俺のための復讐か?」
大嘘吐きの真実の想いが、口から何故か出てこない。大法螺吹きのその舌は、ひとつの真実も吐けぬ舌。嘘を吐かねば生きていけない、三流詐欺師の成れの果て。
老貴族ロージン。栄華を極めた人生の終着点。けれど、渇望している。生を。財よりも、幸よりも、生を。
迷い込んだ小道、琥珀堂。手を出したのは永遠の生。魂も捧げず、業も無い、代価の無い永遠の生。
手に入れた永遠の若さ、永遠の生命。けれど、祝福と呪詛に変わりは無い。友は逝き、子も逝き、誰も己を知る者はいなくなり、何も己の知る物が無くなり、それでも息絶えることさえ許されない。
絶望が心を壊し、それでも死ぬことのできない男。名を忘れ、生きる意味を忘れ、それでも安らぎの訪れない男。遠すぎる道を歩む男。雪の降る街角で、小道に迷い込む。ついに絶望は脳髄を焼き、猫の鳴き声を聞きながら、積もる雪に身を投げたまま、考えることを止めた。足元で鳴く黒猫は救いだったのか。
錬金術師テンマ。天賦の才に恵まれた、天才発明家。彼の発明の中でも、とくに広く知られているのは、景色を紙に写し出す“写真”と呼ばれるものであった。ある日、彼が魅せられたのは、送られてきた“写真”に描かれた、この世のものとは思えぬ美姫。背には白翼、瞳は碧眼。このような者がこの世にあるのか。テンマの胸に火が点る。
その日から、テンマの挑戦が始まった。彼が目指したのは、天まで駆ける翼ある馬。周りの誰もが無謀と止めた。天を目指せば、神の怒りに触れるから、と。しかし、テンマは恐れない。恐れはしないが、力が足りない。天まで届かぬ翼馬の蹄跡、けれど天才は諦めない。その時、黒猫が囁いた。
天馬は駆ける。空へ、空へと。光る雲を突き抜けて、眼下に街を見下ろして、テンマの瞳はさらに上、翼姫の待つ天空の城へ。その時、天馬は嘶いた。天空半ばで力尽き、真逆さまに墜ちてゆく。そして、世界に接吻を。
テンマが眼を覚ますと、その目の前には憧れた美姫。死者を裁くは、天使の役割。天を目指した大罪を負い、けれど夢を果たした男に、悔いなどあるはずがない。
善人トウジ。親友に呼び出され、久方ぶりの休日、彼の家を訪れる。その家の机の上に、佇んでいる陶磁の人形。碧の瞳と、黒い髪。どこか不気味な印象がある。「なんだい、これは?」「先日買ってきたのさ。かわいいだろう?」『君の悪い人形だな』
身の凍る声で囁いたのは人形自身。喋る人形。「そいつは、人の心を見透かせるのさ」「そりゃすごいな」『悪趣味な代物だ』「そこで、俺はかねてからひとつ訊いてみたいことがあったんだ……なあ、トウジ。お前、俺のこと、どう思ってるんだ?」「なに?」『妄想に囚われた偏執狂。人目ばかり気にする臆病者』
人形が叫ぶように言う。「なるほど、善人面してそんな風に思っていたのか」「まさか!」『人形無しには、こんなことも訊けない卑怯者!』トウジは人形を掴み上げ、床に叩きつけるが、破片は罵倒を輪唱する。
親友の手には包丁が握られ、トウジはワケも分からぬうちに息絶えた。破片の輪唱は今もなお、親友の心の声を叫び続けていた。彼の足元で黒猫が鳴いた。
殺し屋シノビ。隠密の業と、暗殺の業、それより他に知るもののない、哀れというよりない飼い犬。その日も仕事を素早く終えて、その帰り道で出くわした。寒さに震える小さな娘。親殺された哀れな娘。放っておくほど非情になれず、シノビは家へと連れ込んだ。
シノビと娘の二人の暮らし。ささやかながら幸せな日々。何も知らないシノビのために、娘は歌を教えてくれた。力を持たない娘のために、シノビは業を教えてあげた。仇討つための、隠密の業。仇討つための、暗殺の業。それよりほかに知るものはない。
シノビの胸に灯火点る。優しさという名の光。無知と恐怖と忠義と懲罰。首輪の外れた飼い犬を、放っておいては示しがつかぬ。逆らう前に鞭を打て。それよりほかに知るものはない。殺し屋使いの飼い主は、無法者の一団連れて、二人の眠る彼の宿へ。
背中合わせの孤軍奮闘、一心同体返り討ち。飼い主に牙、突き立てる。これからどこへ、旅立てばいい? 答えの代わりに白刃煌き、シノビの胸に剣が刺さる。親殺された哀れな娘、仇討ち為して泣き崩れ、娘が為すべき思いと遂げたと、シノビは微笑み、息絶えた。誰かのために尽くすこと、それよりほかに知るものはない。